■スクナヒコナの足跡が残る玉の石
夏目漱石の『坊ちゃん』で有名になった道後温
泉、古くは「伊予の温泉」とか、「伊予熟田津の
石湯」とよばれていた。伊予という国名は、ユ
(湯)という言葉から出たとする説もあり、伊予
国における道後温泉の存在は大きい。摂津国の有
馬、紀伊国の白浜と並び、日本三古湯の一つとさ
れている。
古くより多くの天皇が訪れたことでも知られ、
『伊予国風土記逸文』に、「 天 皇 等 の湯に幸行す
と降しこと、五度なり」とあり、景行天皇
と皇后、 仲哀天皇と神功皇后、聖徳太子、舒明
天皇と皇后、最後に斉明天皇と二人の皇子(のち
の天智、天武)の名を挙げている。
ただ、初めて道後に来たのは聖徳太子のようで、
温泉のある岡のかたわらに、碑文を建てたことが
記されている。わが国最古の金石文として重要視
されているが、見つかっていない。地震で埋もれ
たという説や、伊予の守護職であった河野氏が、
「湯築城」を造営するときに持ち去ったという説
などがあり、今後の発見が期待される。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■東洋一の「メンヒル」とよばれる石神
愛媛県の南予、大洲盆地には数多くの巨石遺跡
が存在する。盆地の中央を伊予第一の大河、肱川
が大きく蛇行して流れている。もとは「大津」と
よばれていた。江戸初期、加藤氏が受封してから
大洲と改名されたとあるので、比較的新しい地名
といえる。
遺跡の多くは、盆地を取りかこむ山並みの中腹、
ほぼ300メートルの等高線上にある。主な遺跡
だけでも、高山寺山群、如法寺山群、梁瀬山群、
紅葉山群、神南山群などがあり、盆地が一つの巨
石文明圏だったのではないかと思えるほどだ。
とすれば、古代は巨大な湖であり、湖畔に巨石を祀
ったのではないかと想像が膨らむ。ただ、平地に
も巨石遺跡が存在しているので、いまのところ
「古代大洲湖説」はなりたたない。
遺跡の一つに「東洋一のメンヒル」と折り紙が
ついた立石がある。高山寺山群の中心的な存在で、
「高山の立石」とよばれている。正式には「高山
ニシノミヤ巨石遺跡」といい、標高280メート
ルの民家脇に、東方を望んで立っている。高さ
4.8メートル、幅2.3メートル、厚さ66セ
ンチという巨大な立石だ。昭和3年、鳥居龍蔵博
士によって「メンヒルとしては東洋一のもの」と
推奨され、一躍有名になった。
(『磐座百選』より一部抜粋)