愛媛の磐座


道後温泉どうごおんせん
愛媛県松山市道後湯之町5-6


■スクナヒコナの足跡が残る玉の石

 夏目漱石の『坊ちゃん』で有名になった道後温 泉、古くは「伊予の温泉」とか、「伊予熟田津の 石湯」とよばれていた。伊予という国名は、ユ (湯)という言葉から出たとする説もあり、伊予 国における道後温泉の存在は大きい。摂津国の有 馬、紀伊国の白浜と並び、日本三古湯の一つとさ れている。
 古くより多くの天皇が訪れたことでも知られ、 『伊予国風土記逸文』に、「 天 皇 等 の湯に幸行す と降しこと、五度なり」とあり、景行天皇 と皇后、 仲哀天皇と神功皇后、聖徳太子、舒明 天皇と皇后、最後に斉明天皇と二人の皇子(のち の天智、天武)の名を挙げている。
 ただ、初めて道後に来たのは聖徳太子のようで、 温泉のある岡のかたわらに、碑文を建てたことが 記されている。わが国最古の金石文として重要視 されているが、見つかっていない。地震で埋もれ たという説や、伊予の守護職であった河野氏が、 「湯築城」を造営するときに持ち去ったという説 などがあり、今後の発見が期待される。
(『磐座百選』より一部抜粋)






高山の立石たかやまのたていし
愛媛県大洲市高山ニシノミヤ甲621


■東洋一の「メンヒル」とよばれる石神

 愛媛県の南予、大洲盆地には数多くの巨石遺跡 が存在する。盆地の中央を伊予第一の大河、肱川 が大きく蛇行して流れている。もとは「大津」と よばれていた。江戸初期、加藤氏が受封してから 大洲と改名されたとあるので、比較的新しい地名 といえる。
 遺跡の多くは、盆地を取りかこむ山並みの中腹、 ほぼ300メートルの等高線上にある。主な遺跡 だけでも、高山寺山群、如法寺山群、梁瀬山群、 紅葉山群、神南山群などがあり、盆地が一つの巨 石文明圏だったのではないかと思えるほどだ。 とすれば、古代は巨大な湖であり、湖畔に巨石を祀 ったのではないかと想像が膨らむ。ただ、平地に も巨石遺跡が存在しているので、いまのところ 「古代大洲湖説」はなりたたない。
 遺跡の一つに「東洋一のメンヒル」と折り紙が ついた立石がある。高山寺山群の中心的な存在で、 「高山の立石」とよばれている。正式には「高山 ニシノミヤ巨石遺跡」といい、標高280メート ルの民家脇に、東方を望んで立っている。高さ 4.8メートル、幅2.3メートル、厚さ66セ ンチという巨大な立石だ。昭和3年、鳥居龍蔵博 士によって「メンヒルとしては東洋一のもの」と 推奨され、一躍有名になった。
(『磐座百選』より一部抜粋)





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